プーチンと、共有認識にもとづく集団行動の力 パート2:創造の社会文法

Masumi Uchimura
41 min readMar 16, 2022

「今この瞬間」のための10の瞑想

(Otto Scharmer氏2022年3月15日の記事翻訳)

オリジナル記事はこちら

ウクライナの人々に対する見境のない攻撃と戦争犯罪が拡大し、より残忍性が増すにつれ、私は集中を保ちながら「今この瞬間」についての考察を書き続けることが難しくなりました。私たちが見ているのは、まさにこのエッセイの第1部で書いた、アブセンシング(不在化・源との断絶) の大規模な増幅、つまり破壊の社会フィールドなのです。そこから外に抜け出る唯一の手だてとして私が見出したのは、「中に入る」ことでした(このブログの中でも紹介した素晴らしいポッドキャストの言葉を借りれば) 。つまり私は、自分の個人的な体験について熟考することにしました。

画像 by Kelvy Bird

このエッセイの第1部では、アブセンシングというレンズを通して、つまり破壊の文法によって形成された社会フィールドというレンズを通して「今この瞬間」を振り返りました。結果として生じているのは、憂鬱・絶望という感情が人々の間に広くまん延しているという状態です。こうした感情は、膨大な量のデータによって裏付けられています。もし憂鬱感を抱いていないとしたら、あなたは(おそらく)疎いのです。言い換えれば、私たちが集団として地球に、互いに、また自分自身に行っていることを完全に否認するのでなければ、私たちは落ち込むしかないのです。あるいは憤慨するしか。もしくはその両方です。

この第2部では「現れようとしている未来の可能性」というレンズを通して、現状を見てみましょう。これは、変革を起こす共創という文法によって形成される、社会フィールドのレンズです(図1参照)。

図1:プレゼンシングとアブセンシング 2つの社会文法と2つの社会フィールド (出典:Scharmer 2018)

(訳注:図1の 「プレゼンシング」はプレゼンス「出現」とセンシング「感じとること」を合わせた著者の造語)

5. 私たちの時代における最も重要で、最も知られていないストー リー

まず、今この瞬間と自分の身体の感覚を結びつけることから、このパートを始めましょう。私の場合「憂鬱」と「可能性」という2つの異なる感覚を通して、不協和音を感じています。

まず、憂鬱です。ロシアがウクライナに侵攻した最初の数日間、私は他の人同様、苦悶しながら次々と展開するニュースを見ていました。私の心の一部は、自分の目と知性がはっきり目にしたものを受け入れることに葛藤していました。そのとき、ある種のデジャヴが起こりました。以前にも同じような感覚を味わったことがある、と体が覚えていたのです。COVIDのパンデミックが始まったときにも感じました。トランプが大統領に選ばれたときにも感じました(大統領任期中もずっと、ある程度感じていました)。9.11の時にも感じました。もしかしたら、あなたもそのうちの1つにおいて、あるいは別の場面で感じたことがあるのではないでしょうか?私たちの誰もが、まるで誰かに足元の地面を引き裂かれたかのような、あの沈むような感覚になじみがあるのではないでしょうか。

過去20年にわたり、私たちの足元の地面を引き裂いてきた一連の破壊的体験、その全ラインナップに目を向けると、何が見えてくるでしょうか。そうした体験は、私たちのあり方に何をもたらすでしょうか。私の場合、これらの出来事に吸い込まれ、取りつかれてしまうのです。自分の体から引きずり出され、無力感を感じ、時には少し麻痺してしまうこともあります。一言で言えば「落ち込む」のです。自分の主体性から切り離されたように感じます。今、私たちの多くが、まさにそう感じているのではないでしょうか。

「集団的な鬱社会」が広がっており、多くの人たち、特に若者や感受性が強い人たちは、そのことを認識しています。もしあなたが今22歳ならば、アブセンシング(不在化・源との断絶) に由来する破壊の増幅で形成された世界の中で、ずっと生きてきたことになります。あなたの人生経験は9.11に始まり、それ以来ほとんどの人にとって混乱の頻度は下がるどころか、上がっているのです。

それが最初の感覚です。そうしたことを裏付けるデータは膨大に存在します。しかしもっと深く考えてみると、それが全てではない、ということに思い至ります。確かに人々は落ち込んでいます。しかし、身体的あるいは感情的な鬱病という診断には、人間の精神の働き、つまり私たちのより良い自己(より高い自己、もしくは大文字のSで始まるSelf)の働きのことが考慮されていません。それは、まだまどろんでいる全体としての意識で、私たちはそれを起動させることができるのです。プーチンが、市民社会の共有認識・主体性や、ウクライナ、ロシア、そして世界における人間の集団行動に気づかなかったように、まん延している鬱状態にあっては、私たちは自分たちの最高の未来の可能性と主体性に気づかないのです。

この2つ目の感覚はどこから来るのでしょうか?私の身体で言えば、おそらく心臓のあたりです。しかし実際には、身体の中心部全てを占めていて、そこから外に向かって放射しています。これは、私が何度も感じてきた「真の可能性」の明確な感覚です。最初にそれを感じたのは、10代の頃、ドイツで10万人規模の原発反対デモに参加した時です (当時私たちは、現在ウクライナで繰り広げられているシナリオ、つまり100万年に渡って存在し続ける核廃棄物と、テロや戦争に対して脆弱なエネルギーシステムに、とりわけ異議を唱えていたのです) 。1970年代後半、同じ反原発運動がドイツで緑の党の設立につながったときにも、私は再びそれを感じました。緑の党は、ドイツが主要産業国の中で初めて、2022年までに原子力発電を廃止し、2030年までに石炭火力発電を廃止する国となることに貢献したのです。

1980年代には、ヨーロッパ各地の平和活動家や公民権運動家たちが、地理的な制約を超えて自発的に「協働」している様子に、私はまたしても未来の真の可能性を強く感じました。1989年、私は学生でしたが「Peace Studies Around the World」プログラムを、著名な平和研究者ヨハン・ガルトゥングと共同主宰していました。私たちは12カ国から35人の学生を受け入れ、学者・チェンジメーカー・草の根活動家たちから学ぶ、グローバルな9カ月の学びの旅に出ました。東欧の旅では、ベルリンの壁が崩壊する数カ月前に、東ベルリン、モスクワ、エストニアのタルトゥでそうした活動家たちと面会しました。後から考えると、こうした運動の最前線にいた人たちでさえ、自分たちが集団として及ぼそうとしているインパクトにほとんど気づいていなかったことに、私は驚かされました。

短い人生の中で、地殻変動のような出来事をこの目で何度も見てきました。ベルリンの壁の崩壊と、それがもたらした冷戦の終結、ソビエト連邦の平和的解体、南アフリカのアパルトヘイトの終焉、初のアフリカ系アメリカ人米大統領。若者主導の気候変動抗議運動に、地殻変動の始まりを目にしました。また、ジョージ・フロイドやブリオナ・テイラー他、数え切れないほどの人々が殺害された後、「ブラック・ライブズ・マター」運動によって制度的人種差別がついに白日の下にさらされました。

私たちは、こうした地殻変動のような出来事に自ら参加し、街頭に出て変化を促してきました。しかし、たとえアクティビズムや変化を目撃しているだけでも、私たちは未来の可能性のフィールドを感じることができ、それが人々を、集団として行動を起こすよう鼓舞するのです。ただし私は、私たちが生きている間に起こる最も重要な地殻変動は、まだこれからだと強く感じています。それは、これまでの地殻変動と同様に劇的で人生を変えるようなものでありながらも、より根本的なものとなるでしょう。それは、私たちがお互いと、母なる自然と、そして自分自身とどう関わるか、また社会レべル・惑星レベルの緊急事態に直面する中で、社会制度をどのように変革し再構築するかという、深いパラダイムシフト及び意識のシフトを引き起こすことでしょう。

大規模な変革が進行中であるという私の信念は、地球上の多くの人々が共有するところです。私は、企業・政府・そして国連などの多国籍機関のシニアリーダー・チームや、地域社会の草の根活動家たちと仕事をする中で、日々それを感じています。

最近の調査によると、G20諸国(世界人口の60%、世界のGDPの80%を占める)の人々の74%が、経済システムの変革を支持しているとのことです。地球レベル・社会レベルのさまざまな現代の緊急事態によりよく対処するためです。4人のうち3人がです!その変革はすでに起こっているのでしょうか?ほとんど起こっていません。起こる可能性はあるのでしょうか?もちろんです。私たちはリソースを持っています。技術もあります。願望もあります。まだないものは何でしょう?今それを実現させるための、ムーブメントと共同リーダーシップの技術です。

「憂鬱」と「可能性」の感覚に戻りましょう。この2つは、私が「今この瞬間」に向かうときに感じる、相反する感情です。アブセンシング(不在化・源との断絶) のノイズを増幅させる度重なる破壊のデジャヴ、それと同時に感じる強烈な未来の可能性の感覚。後者については、多くの人が感じながらもそれをどうしていいかわからないのです。前者の感覚はおなじみです。毎日何百万回となく増幅され、繰り返し語られています。後者の感覚は、より重要であるのに現代においてはほとんど語られないストーリーの一部です。この2つ目の感覚は、大抵1つ目の感覚のノイズに押しやられてしまいます。しかしこの2つ目のストーリーは金色の糸なのです。この金の糸を、ここから先ではたどっていきたいと思います。

6. 最近の進歩についての5つのストーリー

もし「今この瞬間」からズームアウトして、過去20年だけでなく、過去200年に焦点を合わせると、何が見えるでしょうか?少なくとも5つの重要な領域において、人類が大きく進歩していることがわかります。

・戦争。確かに、戦争はいまだに地球とそこに住む人々を苦しめています。しかし実際、国家間の紛争解決の手段として戦争を容認することをやめさせるという点で、私たちは大きな前進を遂げました。確かに、ウクライナ・シリア・アフガニスタンでの痛ましい出来事のような後戻りや例外はあります。また、新しい形態の武力紛争(国内紛争の増加、国家間紛争の減少、サイバー上の紛争やハイブリッド型紛争の増加)も存在します。とはいえ、第二次世界大戦の終結以降、地球上の平和が進展していることは否定できません(図2参照)。

図2:人口10万人当たりの世界の戦死者数(出典

・脱植民地化。 過去2世紀にわたるラテンアメリカ、アジア、アフリカの脱植民地化は、記録に残る中で最も重要な歴史的成果の1つです。確かに、やり残している仕事はまだたくさんあります。政治的脱植民地化の次にとり組むべき問題は、経済的・文化的脱植民地化、そして「心の脱植民地化(ヴァンダナ・シヴァの言葉)」、つまり思想の脱植民地化です。しかし、この分野の進歩については否定できません。過去500年のスナップ写真を示す、こちらの地図のアニメーションをご覧ください。

・奴隷制と公民権。 奴隷制と農奴制の世界的な廃止も大きな成果ですが、それに対応するアパルトヘイトや人種隔離制度を廃止するには、さらに長い年月を要しました。また、ある分野で進歩が見られるたびに、その反動が時を経ずして起こることも多々ありました。構造的な暴力、制度的な人種差別、奴隷のような状況は依然として存在しますが、大きな進歩が生じたことは否定できません。

・女性。 女性の権利、女性のリーダーシップ、そして性別にとらわれない自由は、驚くべき進歩を遂げているもうひとつの分野です。女性と女児の教育に投資することが、気候変動問題やその他の開発問題に取り組む上で最も重要な要素のひとつであることは、よく知られているとおりです。COVIDパンデミックの間、こうした進歩の一部は鈍化しました。世界経済フォーラムの2021年版グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポートによると、男女間の格差解消には、さらに136年かかるそうです(以前の予測である100年から増)。しかし、意識に基づくシステム変革の新しいムーブメントを共に構築する人たちの多くは、女性リーダーたち及び、女性的で関係性に重きを置くリーダーシップをより体現している人たちなのです。

・貧困。私たちは、特にアジア、中でも中国において、人々を貧困から救い出すことに関し大きな前進を遂げました。国連の人間開発報告書は、21世紀に入ってからの20年間で毎年、極端な貧困の削減に目覚ましい進展が生じたことをとらえています。それでもなお、貧困は多くの場所で課題として残っており、世界は「不公平」という新たな厄災に直面しています。それは、平和・安定・人類と地球の健全性に新たな課題を投げかけています。

7. 創造の社会文法

過去2世紀は、人類進歩におけるこれら5つの主要な感動的ストーリーの証人でした。いずれも葛藤や挫折なしに実現したものではありません。私たちは今日、葛藤や挫折の証拠を十分目にしています。しかしだからと言って、私たちは挫折を、世界が破滅に向かう証拠として受け入れることはできません。私たちは、出来事を歴史的な文脈でとらえなければなりません。矛盾が生じないのは、理論においてのみだということを覚えておく必要があります。現実は常に矛盾に満ちたものなのです。歴史的に見ると、特定のアブセンシング(不在化・源との断絶) が起こったのは、以前の進歩に対する反動だったのかもしれません。キング牧師は、長期的な視野を持つよう私たちに促し、”モラルの道のりは長い弧を描く、しかしその弧は正義の方向へ向かっている”と言いました。

そうだとしたら、それは私たち皆が当てにすることのできる自然法則なのでしょうか?決してそうではありません。社会科学には自然科学のような「法則」はないのです。その代わり、ある条件のもとでのみ適用される不変性というものはあります。しかし、その条件が変われば、そして最も重要なこととして、関係する人々の意識が変われば、人間の行動とそれを記述する「ルール」も変わるのです。つまり社会科学において、ルールはより流動的なのです。それは、人々が活動する社会フィールドの状態によって規定されます。例えば、それが創造のフィールドなのか破壊のフィールドなのかによって決まるのです。この観点においてリーダーシップとは、ある社会フィールド(または社会文法)から別の社会フィールドへと、目の前の状況や課題に応じて移動するシステム能力です。(4つの包括的社会フィールドのより細かい区別については、Scharmer 2018参照)。

この考え方を上記の5つの物語に当てはめてみると、これらの変容エピソードを推進できたものは何だったのでしょうか?その原動力は何だったのでしょう?私は、これらの物語全てに、同じ力あるいはメカニズムが見出せると考えています。これらの変化は、市民運動の数々によってもたらされました。平和運動、解放運動、廃絶運動、公民権運動、女性運動、人間開発運動などの市民運動が他の人々を刺激し、共に参加するよう鼓舞したのです。これらの運動はすべて、献身的な市民たちから成る小さなグループによって始められました。彼らは何らかの方法で、自分自身や他の人たちのための支援構造を作り、それによって意図的な社会フィールドを開拓することを可能にしました(支援構造の例:アメリカの公民権運動においてはハイランダー・フォーク・スクール、学生非暴力調整委員会、NAACP。冷戦時代の東ヨーロッパの公民権運動においては、教会)。活動家たちが集められ、訓練され、方法とツールを持つにつれ、彼らは支持を集め、傍観者だった人たちをその運動に引き込むようになりました。最終的にこれらの運動は、社会がより良い方向へ自らを再想像し、再構築するのに役立ったのです。

言い換えればこれらの運動は、真の可能性という別のフィールド、すなわちまだ現れていない未来を出現させるフィールドとのつながりを感じて、動いていたのです(図1参照)。それは、反核運動、環境保護運動、平和運動、女性運動、ブラック・ライブズ・マター運動、気候変動抗議運動において、何百万人もの人々が街頭で感じたことです。こうして感じるつながりは、特別なものではありません。それらが私たちを人間らしくしているのです。人間は地球上で唯一、自分たちの未来を再想像し、再構築することができる種です。私たちは、自分たちの文明形態や協働パターンを決定づけるルール・目標・パラダイムを、再想像し変化させることができるのです。その能力を養い進化させることは、この地球の未来、そして人類の未来にとって不可欠です。

しかし、他の人々を参加したいと感じさせ、行動への敷居を越えさせるものは何なのでしょうか?

何年も前、私はザンビアでエイズ撲滅活動家たちのワークショップのファシリテーターを務めたことがあります。30人ほどのグループには、有名なサッカースター選手や著名人、そして一般人も含まれていました。私たちは彼らに(a)いつエイズの流行に気づいたか、(b)いつエイズに対して献身的に何かを行おうとする活動家になったか、について、それぞれ語ってもらいました。すると、例外なく全員が同じ話をしたのです。活動家への転身は、家族や親しい友人を通じてエイズという問題に個人的なつながりを感じたときであった、と。つまり、心に響く(心が開かれる)体験をしたときに活動家への道が開かれたのです。

アジアをはじめとする世界のエグゼクティブリーダーを対象に、私が実施しているMITのプログラムの標準モジュールのひとつで、リーダーたちは科学と実際のデータを使って気候変動の交渉役となるシミュレーションゲームに参加します。このゲームでは、国やステークホルダーチームが意思決定をすると、それがモデルにインプットされ、その意思決定が2050年、2100年の地球にどのような影響を与えるかが彼らに伝えられます。台本はありません。しかし、私が何度も目にしたパターンがあります。第1ラウンドでは、エグゼクティブたちの決断はほとんどの場合自己中心的で、大抵は中期的な災難につながります(なぜなら、彼らは大抵従来通りのビジネスを行う、つまり現状を維持するからです)。第2ラウンドでは、ほとんどのチームがより急進的な決断と削減を行いますが、それによるポジティブな影響はまだ地球が求めるものからほど遠いものとなります。次に参加者は、海面上昇が自分たちの住む都市にどのような影響を及ぼすかを見せられます。これらの視覚的なイメージが浸透し、自分たちの住む沿岸都市の多くが水没することを理解すると、参加者はより献身的かつ緊急にこの問題に取り組み始めるのです。また、他のプレイヤーに働きかけ、協力し合い、集団で取引するようになります。第3ラウンドや第4ラウンドになると、参加者たちの集団としての影響力は大きくなり、気候科学者が目標としている、平均気温の上昇幅1.5度以内を目指していきます。

つまり、台本のないチームの行動は、図3の上半分に示したような経過をたどる傾向があります。自分たちの行動が地球に与える集団的影響を見ない(否認)、目の前にあるデータをはっきりと見ていながら影響を感じない(非感知)、事実を知り、すでに影響を感じているにもかかわらず行動しない(集団的無関心)。

シミュレーションのフィードバックは、プレイヤーの盲点を明らかにします。しかし、その結果が体験的あるいは個人的なものになるまで、彼らの行動はほとんど変化しません。無関心から行動へと敷居を越えるには、ステークホルダーたちがエゴシステム意識を捨て、全体としてのエコシステム意識を共有し育む必要があります。それができれば、迅速で果断な行動につながるのです。

図3:2つの関係性構造。分離の構造とつながりの構造

アブセンシングの文法(およびフィールド)とプレゼンシングの文法(およびフィールド)の構造的な違いは、前者が分離の認知構造に基づいているのに対し、後者はつながりの認知構造に基づいていることです(図3参照)。

分離の構造は、3つのレベルで現実との分離を具現化します。(1)知ること(自己と世界の分離:否認)、(2)関わること(自己と他者の分離:他人事とみなす)、(3)主体性(日常の自己と高次の自己の分離:憂鬱)。

つながりの構造は、知ること、関わること、主体性のレベルにおいて、より深くつながり直す可能性を生じさせる器(うつわ)を形成することで、こうした状況を変容させます。言い換えれば、変容と癒しをもたらす「つながり」の構造は、「思考と世界は分離していない」「自己と他者は分離していない」「日常の自己と高次の自己は分離していない」という原則に基づいているのです。このような意識領域を開拓することは、私たちの科学的、感性的、倫理的・実践的能力と知識を発達させ深化させることにつながります。それが、21世紀における学校の主要カリキュラムとなるでしょう。

では、破壊とアブセンシング(不在化・源との断絶)の社会フィールドをどのように変容させればよいのでしょうか?それは、社会のあらゆる場において、分離の認知構造・社会構造をつながりの認知構造・社会構造に置き換えることによって、です。

アブセンシングのパターンを変容させるためには、私たちは基盤となるあらゆる関係性において、共感する能力を強化し育成する必要があります。互いと、地球と、そして自分自身とつながるのです。そして、その共有されたつながりと共感から、創造的な行動を生み出すのです。

8. 形態は意識に従う

このような深いつながりの場に意識を向けるには、私たちの普段の習慣的意識(エゴシステム意識)を拡大させ、生態系のあらゆるパートナーや存在たちの視点を取り入れること(エコシステム意識)が必要です。2015年の歴史的な協定、気候変動に関するパリ協定の主要な立役者クリスティアナ・フィゲレスは、2種類の自己利益を区別しています。小文字のsで始まるself-interest(自己利益)と大文字のSで始まるSelf-interest(自己利益)です。前者はエゴをもとに形作られたものです。後者は全体としての意識をもとに形作られたものです。それを私はエコシステム意識と呼び、クリスティアナ・フィゲレスは「ステークホルダーたちが大文字のSで始まるSelf-interest(自己利益)から行動する」と言います。つまり、自己を他者と、地球と、そして自分自身と深くつながったものとして認識するのです。

私が描写しているのは、“形態は意識に従う”という状態です。意識の向け方は重要です。意識をベースにしたシステム変革のアプローチはすべて「あらゆるシステムにおける最も重要なレバレッジポイント(てこの支点)は、意識の変革である」という原則に基づいています。それは “我思う、ゆえに我あり” ではないのです。むしろ “私が(このように)意識を向けるから、(このように)立ち現れる ” のです。

若い頃、交通事故の現場を車で通りかかったとき、そこにすでに救急隊員が駆けつけていれば、ほっとしたことを覚えています。もしいなかったら、自分の責任で助けなければならないと思っていたからです。しかしその責任感ゆえに、不安や無力感を感じていました。どうしたらいいのかわからなかったからです。しかし後に、私はそれを変えようと決意しました。ドイツで義務付けられていた兵役を拒否した私は、代わりに社会奉仕をする選択をさせられました。私はドイツ赤十字を選びました。1年半の間、救急医の手伝いをするのが私の仕事でした。その間に、ひどい事故にもそれ相応に遭遇しました。しかし驚いたことに(医療対応の訓練の成果もあって)、私は自分の無力感や麻痺を克服できるようになったのです。生死に関わるような状況に直面したとき、私はスピードを落とし目の前の仕事に集中することを学びました。傍観者たちの気が散るような声をすべて聞き流し、なすべきことに注意を向けることを学びました。この経験は私のすべてを変えました。問題に直面したとき、自分には選択肢があると教えてくれたのです。問題から目をそらすこともできるし、問題に向き合うこともできる。その選択、つまり内なる微妙なしぐさが「アブセンシングのフィールド」を活性化させるか、「プレゼンシングのフィールド」を活性化させるかを決めるのです。アブセンシングとは、思考・ハート・意志を凍りつかせることです。プレゼンシングとは、破壊的な状況に直面した時でも思考・ハート・意志を開くことです(図1)。

それが、私が赤十字から学んだ教訓です。自分の意識の向け方が重要なのです。私が自分のやるべきことに集中し始めたとき、関係性と感情のフィールド全体がシフトしたのです。

パート3:自分たちの主体性を起動させる

クリスティアナ・フィゲレスはパリ協定の成功を振り返り、ベトナムの禅僧で平和活動家のティク・ナット・ハン(1926–2022)の教えと実践が、彼女が協調外交を織り成すのに役立ち、それが協定を生み出すことにつながったと述べています。特に彼女が引用したのは、深い傾聴の実践と、すべての存在は互いにつながっているというナット・ハンの教えについてです。

反戦運動、脱植民地化運動、公民権運動、女性の権利運動、反貧困運動などが集団的に主体性を発揮したとき、参加者たちは思考とハートを大きく開いてこれらの問題に向き合っていたのです。私の同僚であるアントワネット・クラツキーが言ったように、思考を大きく開いて見るならば、その見ることが感じることの種になる、思考とハートを大きく開いて感じるならば、その感じることが行動の種になるのです。

今世紀の課題とこの10年の変革が求めているようなスケールで、エゴからエコへの意識転換を支える、こうした深い学びのインフラをどのように構築すればいいのでしょうか?

9. 新しい文明を誕生させる

ここで取り上げた変革のストーリーはすべて「何が可能か」を私たちに指し示しています。私たちは今、ひとつの文明が滅び、別の文明が生まれつつある崩壊の瞬間に生きているのです。この新しい文明は、現代における3つの大きな分離、すなわちエコロジカルな分離(生態系との分離)、ソーシャルな分離(他者との分離)、スピリチュアルな分離(本来の自分との分離)に、橋を架けることを基盤としています。

図4は、私たちの現状を図式化したもので、要するに私たちは、奈落の底を覗いているのです。生態系に生じた奈落は、私たちがもたらした、気候や生物多様性に関する惑星の緊急事態の産物です。他者との関係性に生じた奈落は、崩壊しつつある社会システムの産物です。不平等や両極化といったことから、ウクライナ・シリア・スーダン・ミャンマーその他、多くの場所での残虐行為にいたるまで、さらには全面核戦争という非常に現実的なリスクなどの産物なのです。スピリットレベルの奈落は、私たちが創造性や主体性の内なる源泉からますます切り離され、その結果、特に若い人たちの間で鬱や不安が生じていることを反映しています。

図4:破壊の時代が生み出す奈落に立ち向かう。越えるべき道は内側にある (図版:Kelvy Bird、出典:Scharmer 2018)

この3つの奈落の顔を覗き込んだとき、私たちは何を見るのでしょうか?自分自身を見るのです。私たち人類が、これら破壊のすべての形態を作り出していることがわかります。他の誰でもありません。これが私たちの時代、「アントロポセン(人新世)」の特徴なのです。これらは、私たちがアブセンシング(不在化・源との断絶)という破壊的なフィールドで活動するときに生み出される結果です。私たちは、外側にある問題は内側の問題の鏡である、と認識するに至ります。目の前にある奈落は私たちの内側に端を発するのです。つまり、地球との分離、他者との分離、自身との分離です。

では、この地球が緊急に要請している未曽有の文明転換を、どうすれば実現できるのでしょうか?もちろん誰にもわかりません。しかしこう思うのです。ビッグマネー(巨大資本)、ビッグテック(巨大IT企業)、ビッグガバメント(大きな政府)が行動を起こすことによって、ではありません(この3つは私たちに必要なものではありますが、ビッグである必要はありません)。また、人々を怖がらせることによって、でもありません(これは従来の環境保護運動が行ってきたことです)。人々を非難し辱めることによって、でもありません(これは単一争点の社会運動がやりがちなことです)。こうしたあらゆるグループ及び行動タイプは、全体戦略の部分要素として配合される必要があります。しかし私が言いたいのは、同じことを繰り返しても次のレベルには行けないということです。必要なのは、何か違うことなのです。深遠なまでに新しい文明の形をもたらすために必要なのは、過去から押し出すことではなく、未来から牽引することなのです。

小さく始めること。「小さく始める」とは、小さな輪やコミュニティーから始めることを意味します。それは、実際の場所をベースとしたコミュニティーでも、デジタルでつながったコミュニティーでもいいのですが、特定の状況への認識を共有し、(過去とは異なる)未来に対する意図を共有するコミュニティーです。こうした取り組みやコミュニティーには、草の根レベルのものもあります。ひとつ或いは複数の機関に属しているものもあります。しかしこれらすべてのコミュニティーに共通する特徴は、異なる運営方法を実践することによって、現在支配的な破壊の社会フィールドを変革しようとしている点です。未来とつながったこうしたコミュニティーは、創造の社会文法及び社会フィールドを作り出しているのです。

エコロジカルな分離、ソーシャルな分離、スピリチュアルな分離に橋を架ける。過去100年以上にわたって社会の危機に直面してきた私たちが学んだことがあるとすれば、それは「どんな問題も他の問題と切り離して語ることはできない」ということです。社会的公正に焦点を当てることなく、地球の緊急事態に対処することはできません。その逆もまた然りです。そして、本来の自分との間に精神的な橋を架けることなしに、これらの問題を解決することはできません。

過去60年の間に、社会と文化に起こった大きな変化を振り返ると、環境・社会・意識の分野の各運動は、どのように進化を遂げてきたでしょうか?それらは別々に進化する傾向がありました。しかし今日、歴史的に新しいことであり、私に希望を与えてくれることは、エコロジカルな分野、ソーシャルな分野、スピリチュアルな分野における変革の統合が、特に若者たちの間で、直感的な共有認識となって広がっていることです。

ムーブメントを紡ぐ。なぜ私は、私たちが「橋を架ける」という地球規模の新たなムーブメントの初期段階にいると確信しているのでしょうか?それは、私がそれを見てきたし、感じてきたからです。ここ数年、数え切れないほどの場所でそれを感じてきました。その内のひとつがu.labです。u.labはMIT(マサチューセッツ工科大学)のオンラインアクションラーニングラボで、20万人以上の参加者にこのような旅を促してきたプログラムです。私たちはまた、何千ものチームの取り組みをサポートしてきました。手法やツール、他の人たちとつながったり協働したりするための場を提供してきました。サポートした中には、国連のあらゆる機関の長で構成された(25カ国からなる)国連カントリーチームもありました(SDGs リーダーシップラボ)。それは単なるアイディアではなく、共創的関係性のネットワークを体現したものであり、成長し続けるものなのです。それは、共創的グループ、チーム、イニシアチブによって、地球規模のエコシステムの中に具現化されています。

では、今世紀及びこの10年が求めている変革は、結局どこからやって来るのでしょうか?「あらゆるところから」生じ、働きかけ、協働を起こすムーブメントからです。(「あらゆるところから」これは環境保護主義者で企業家のポール・ホーケンが最近言った言葉です。)

それは、エコロジカルな分離、ソーシャルな分離、スピリチュアルな分離というのは、3つの問題ではなく1つの同じ問題から生じる3つの表現に過ぎない、という直感に触発された運動となるでしょう。その同根の問題とは、私たち皆がそこにアクセスし活動することのできる、社会フィールド及び社会文法が欠けていることです。

意識のシフト。エコロジカルな分離、ソーシャルな分離、スピリチュアルな分離という3つの分離の統合はどこで行われるのでしょうか。それは、私たちひとりひとりの内に起こるのです。個人的レベルで、そして集団的レベルにおいて。過去のGAIAのセッションで、アボリジニのヌーンガー族の長老であるノエル・ナナップ博士がこのことを指摘しています。彼は言いました。

「私たちがやるべきことは、未来への道のうち、自分が担当するひとかけらを手にすることです。それを磨き込み、みんなで建設している道にはめ込むのです。もちろんその道を作る過程で、道を作る私たち自身も変化させられ、その道が向かう先も変わっていきます」

この言葉によって、ナナップ博士は重要な教えを伝えています。それは、私たちひとりひとりが、自分の意識や意図を、自分の持ち場に、つまり自分がすべきことに向ける必要があるということです。私たちが過去のムーブメントや変革から学んだことがあるとすれば、それは以下のことでしょう。「変革を、他の人がどこか他の場所で行うべき行動だと考えている限り、どこにもたどり着けない。」必要なのは、個人として或いは集団として、私たちひとりひとりを “自分たちの未来を切り開く主体” として、センター・ステージに据える枠組みなのです。

20世紀後半は、相反する社会経済システムとそれに対応するイデオロギーの対立、つまり資本主義と社会主義の対立によって形成されましたが、21世紀に入って私たちは、異なるタイプの両極性を見ています。断層が生じているのは、もはや対立する2つの社会システムの間にではありません。今日、断層は私たちひとりひとりの意識の中に生じています。21世紀の政治における断層の最たるものは、システム内の断層、そして自己とシステムの間の断層なのです。

図1と図3のビジュアルにおいて、私たちの時代における最も重大な断層は垂直方向に生じます。プレゼンシングを基盤とするかアブセンシングを基盤とするかによって、世界との関わり、他者との関わり、自分自身との関わりに、それぞれ異なる質が表れます。この垂直方向のリテラシー(技能)が、今日育むべき最も重要な能力なのです。 例えばウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは、個人的な体験と観客を感じとることのできる能力を駆使して、国民とつながり、抵抗を鼓舞し、敵対する勢力を悪者扱いせずあらゆる人の内にある人間性に訴えかけながらロシア・ヨーロッパ・アメリカの市民たちに語りかけるということを、とても上手にやっています。

CASA: 真のスーパーパワーを起動する。私たちが、 COVIDのパンデミック、ジョージ・フロイドとブリオナ・テイラーの殺人、プーチンのウクライナ侵攻といった破壊的な課題に対する自分たちの反応から何かを学んだとしたら、それは次のようなことかもしれません。私たちの時代の真のスーパーパワーは、ワシントンでも北京でもなく、もちろんクレムリンでもない、私たちの時代の真のスーパーパワーは「全体としての共有認識から生じる集団行動(CASA=Collective Action that emerges from Shared Awareness of the whole)」なのだ、と。ラテン語で “カーサ(CASA)” は “家” もしくは “家庭” を意味します。自分たちの家や家庭、土地、コミュニティー、そして地球レベルの生態学的・社会的・文化的エコシステムを守り再生するために、私たちはCASA型の集団行動能力を養う必要があります。

図5に示すように、CASAは従来の3つのガバナンス・メカニズム(政府、市場、ステークホルダーによるロビー活動)に加わる、第4のガバナンス・メカニズムと見なすことができます。私は、CASA型集団行動の出現は4.0型ガバナンスであり、今日の社会における最も大きな進展の一つだと考えています。地域レベルでは、CASAの例はすでに様々な形で存在しています。例えば地域支援型農業(CSA=Community Supported Agriculture)に表れています。また、自然災害などへの対応としても表れる傾向があります。破壊的な状況に直面し、全体の状況への共有認識から、コミュニティーの人々が行動を起こすべく自然発生的に立ち上がるとき、CASAは姿を現します。ウクライナでもそれは生じましたし、ウクライナから過去数日間に逃れた300万人の人々を温かく受け入れている近隣諸国でも、それは生じています。また、2015年にパリ協定や持続可能な開発目標(SDGs)に向けて世界がひとつになったときなど、国際政治の舞台においても時折出現することがあります。意識の側面やCASAに関して、パリ協定の裏話を知りたい方は、このブログの最後にあるポッドキャストのリンクをクリックしてみてください。

図5:システム進化の4段階、4つのOS(Scharmer 2018より引用)

図5は、4種類の社会文法とその運用様式を示したものです。今日の主流は2.0から3.0へと徐々に移行していますが、変革の主な課題は4.0の運用へどうやって進んでいくかということです。私たちが何度も目にしてきたのは、4.0レベルの課題(私たちの惑星や社会の緊急事態)に対して、社会や制度が1.0や2.0(時々3.0)の対応メカニズムで対処している状況です。しかしそれでは機能しません。なぜなら、アインシュタインの言葉を借りれば、課題を生み出した時と同じモードにいる限り、私たちはその課題を解決できないからです。

Society 4.0への移行を、各国の一般大衆は支持しているのでしょうか?現在、その支持は多くの場所で急速に高まっていると思います。最近の例では、新自由主義とピノチェト政権が50年近くにわたって国にもたらした、生態学的分離・社会的分離・文化的分離に橋を架けることを掲げたガブリエル・ボリック(チリ大統領)が地滑り的勝利を収めたことが挙げられます。下の2枚の写真は、ボリック大統領が大統領就任の日に、先住民の伝統的儀式に敬意を表し祝福を受けているところです。

写真: 大統領就任式で先住民族の伝統的儀式にのっとって祝福を受けるガブリエル・ボリック大統領。多様性、包摂性、自然との調和を政府に提案した。 写真左:Boric’s Instagram 写真右:by Sebastian Rodríguez / Chile’s Presidency/ AFP

ガブリエル・ボリックはその一例です。しかし、G20諸国において社会・経済システムの変革に対する支持が74%に上っていることは、今日世界に存在する、大きな変革への潜在力を過小評価できないことを示しています。

10. 今、私たちにできること。新しい学習インフラの構築

このエッセイのパート1では、今日起こっていることを、アブセンシング(破壊の社会文法)というレンズを通して眺めました。このパート2では、プレゼンシング(共創の社会文法)というレンズを通して探ってみました。この2つの視点及び社会フィールドは、互いにどのように関係しているのでしょうか?

この2つは興味深いあり方で、弁証法的に絡み合っています。私たちはしばしば、個人として、制度の中で、また社会において、この2つの視点・社会フィールドの間で立ち往生していることに気づかされるのです。人生も、リーダーシップも、社会変革も、このもろい中間領域において機能しています。ほとんどどの瞬間においても、物事は常にどちらかに揺れる可能性があります。このもろさこそが、今この瞬間の重要な特徴であるように思われます。

私はここで楽観的な見方を提示しようとしているわけではありません。今必要なのは、そういうことではないと思います。崩壊に向かって進んでいるものを、楽観的に飾り立てる必要はないのです。今必要なのは、徹底した現実主義(radical realism)です。それはプレゼンシングとアブセンシングの両方の現実を受け入れることのできる現実主義です。radical(徹底した)という語は、もともと後期ラテン語の radicalis から14世紀に借用された形容詞でした。radicalis というのはラテン語で「根」を意味するradix に由来しています。中世後期の英語において radical は「根を形成する」という意味でした。徹底した現実主義は、「目に見える部分」と「根っこの部分」の両方の現実を見ようとします。それは、現状のレベルと、根の形成レベル(つまり何が現れたがっているかというレベル)の両方を通して現実とつながろうとします。徹底した現実主義は、多くの人がすでに知っているように「ここから先の旅は容易ではない」と言います。この先、多くの破壊的な出来事が待ち受けています。しかし最も重要なことは、未来はこうした外的な混乱に左右されるわけではない、ということです。未来は、私たちの関係性と、どのような内的な場所から私たちが対応するかにかかっているのです。

今日、最も差し迫った課題のほとんどは、アブセンシングの集団的なパターンにいかに関与し、それを変容させるかということに集約されます。見ない、感じない、行動しない、という3つの盲点を明らかにすることは、介入のために重要な一定のレバレッジポイント(てこの支点)を提供します。しかし肝心なのは、アブセンシング(あるいは悪)の表れを敵と見なさないことです。そうではなく、私たちはあらゆるアブセンシングの行為を、誤った方向へ向かった創造的エネルギー、つまり創造的エネルギーが失敗し破壊の道へと逆流したもの、として理解する必要があります。破壊やアブセンシングのあらゆる行為は、創造的な可能性を実現することができなかったエネルギーの現れなのです。そのエネルギーと関わり変容させるためには、私たちはまず自分自身の内に、それを変容させる場所を見つける必要があります。

そう考えると、ウクライナにおいて進むべき道はただ一つ、協調的な外交であることが明らかです。早ければ早いほどいいのです。時間がかかればかかるほど、恐ろしい破壊、残忍化、集団的トラウマがあらゆる人々に降りかかってしまうでしょう。知的で協調的な外交は、アブセンシングのフィールドで立ち往生している人々に橋をかけ、現在支配的な思考を形成している二元論を超えた解決策を提供する必要があります。現在支配的なのは、他人ごとと感じるか敵意を抱くかで、第3の選択肢(例えばウクライナの軍事的中立化などの)を考慮しない態度です。もうひとつ注目すべきなのは、グローバル・サウス諸国のほとんど(ブラジル・インド・インドネシア・南アフリカを含む)が、これまでのところグローバル・ノース諸国の敵意に賛同していないことです。

そして、私たちの主体性というところに帰ってきます。私たちひとりひとりはどのようにして、歴史の弧を社会正義、地球の癒し、そして人類の繁栄へと向かわせることに直接関与できるのでしょうか?そのためには、現れたがっている未来への共有認識から活動する、無数のイニシアチブの種を成長させ結びつけるような、新しい社会学習インフラが必要です。私たちの思考にノイズを送り込み、エコシステムに破壊をもたらす、超増幅されたアブセンシング・マシーンによって、これらのイニシアチブが締め出されるのを許してはなりません。分離の構造ではなく、つながりの構造を促進する器(うつわ)を構築しようとする、活動家のあなたはどこにいますか?自分自身のために、自分のチームのために、自分が参加するイニシアチブのために、このような学習インフラを作り共にホールドしようとしているあなたはどこにいますか?

Presencing Instituteは、こうした必要不可欠な社会学習インフラの創造を支援するため、イニシアチブを立ち上げています。そこでは、変革のこの10年においてシステムの変容を今起こすべく、手法・ツール・学びの場へのアクセスを民主化するため、新たなタイプの融合キャンパスをプロトタイプし、それをスケールアップさせようとしています。目標は以下の事柄を実現させることです。

- 抜本的な再生のための、無料で反復可能な学習・イノベーションプラットフォーム:手法、ツール、学びの場

- 食、学習、健康、福祉、ビジネス、金融、テクノロジー、リーダーシップ、ガバナンスの分野において、抜本的な再生のための能力を体現し構築している、生きた事例・機関による活気あるエコシステム

- 再生的な未来の可能性から行動し、人々が自分の主体性から活動するのを鼓舞するような、何百万人もの抜本的変革者たちが集うつながりの場

- 「再生的な未来は手の届くところにあり、今すぐにでも可能である」という研究エビデンスをもとに、信頼性を高める

この活動に参加したい方は、こちらのメーリングリストにお名前を追加してください。

ここで私たちは、終わり、すなわち始まりへと至りました。まず私たちは、今この瞬間に身体に感じる、相反する感情に寄り添うことから始めました。この2つの異なる社会文法の探求の中で私たちは、未来は他の人々の行動だけに依存しているのではない、と学びました。この惑星の未来は、私たちひとりひとりにかかっています。そして、自分の意識と意図を全体に合わせて再調整する、私たちの能力にかかっているのです。ナナップ博士が私たちに思い出させてくれたように、「私たちがやるべきことは、未来への道のうち、自分が担当するひとかけらを手にすることです。それを磨き込み・・・」

その現れようとしている未来への道を共に構築しホールドすることで、私たちひとりひとりが地球と、そして共に向かう未来と、とても個人的な関わりを持つことになります。私はその未来を一連の「種」だと考えています。これらの種はすでに存在しています。存在していないのは土壌です。社会的な土壌がなければ、種は育つことができません。その肥沃な土壌を生み出すものは何でしょう?それは、意識の光線を自分自身に向ける、私たちの集合的能力です。直面している奈落の底にある自分自身のシャドウを見て認識する、私たちの能力です。(もし、しっかり見つめることができたなら)シャドウを変容させ、認識のフィールドを開き、現れたがっている未来のための媒介として奉仕し始める、そうした私たちの能力なのです。

このブログのパート1

クリスティアナ・フィゲレスとのポッドキャスト対談:The Way Out Is In

意識に基づくシステム変革の例 :レポート

オットー・シャーマー氏の他のブログはこちら:ホームページ

冒頭でビジュアルを提供してくれたKelvy Bird、そして草稿への有益なコメント及び編集をしてくれた Becky Buell, Antoinette Klatzky, Eva Pomeroy, Maria Daniel Bras, Priya Mahtani, and Rachel Hentsch に感謝を捧げます。

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